
FUMIさんが、母親を介護する日々について韓国語で書き、
作文コンテストで入選したエッセイを紹介します。
シンギョンスクの小説『母をお願い』に共感してこのタイトルとしたそうです。
『母をお願い』 (韓国語作文コンテスト入選)
"母が金曜日にデイサービスへ行くようになってひと月だ。"
母は今年の春頃から認知症の兆しが見られるようになった。初めは朝食に何を食べたのか
ど忘れする程度だったが、この頃は食事したことすら忘れてしまう。
夜中に何度となくトイレへ行き、その途中でおしっこを漏らしてしまう。
歳のせいで耳が遠いから補聴器なしでは何も聞こえないのに、頑として補聴器を使うのを拒む。
母と二人暮らしの私は、大声で怒鳴っても母と意思疎通がうまくいかずイライラがつのり、
イライラするあまり母に八つ当たりしてしまい、そんな自分が情けなくて本当に嫌だった。
友達が韓国へ旅行したとか、食べ歩きしたとか、そんな話を聞くと
『どうして私だけ家に縛り付けられて、寝ても覚めても家事と母の世話をしなきゃならないの?』と
独りごちた。なぜ私が夜更けに便まみれのトイレの床を雑巾がけしなきゃならないのか、
こんな生活がいつまで続くのか考えると茫漠とした暗闇の中にうずくまっているような気分だった。
母が初めてデイサービスへ行く日、今日こそは思いっきり昼寝するんだ!と私は心に決めていた。
ところがなぜか、身体が勝手に動いて洗濯して掃除して食事の支度をしていた。
母がいない、しん…と静かな日。いつか、いや遠からずこんな日が来ると分かっていても、
いきなり感じる現実味を帯びた静寂。思わず涙が出た。なぜ泣くの?こんなに穏やかな日なのに…。
シン・ギョンスクの『母をお願い』を読んだ。
読みながら、日々の日常生活の中で無意識のうちに母を蔑ろにして来たことに気づいた。
この小説の主人公の母親はある日ソウル駅の前から行方不明になる。
娘や息子たちは皆、母親がいなくなって初めて母親が大切だったこと、いかに大きな存在だったのか
今更ながら思い知る。大切な人がいなくなってから気づくなんて。
親孝行したい時には親はなし、という諺の通りだ。家族を思いやる気持ちは韓国も日本も変わらない。
当たり前なのだけど、当たり前だからこそ見過ごしていることがとても多いと思う。
韓国語を学んでいて『小確幸』という言葉に出会った。
村上春樹のエッセイ集『ランゲルハンス島の午後』に初めて出て来た言葉で、
"ささやかだけれど確実な幸せ"の略語だ。それなら私の小確幸って何だろう?
猫の頭を撫でながらテレビを見て子供みたいに笑っている母。
ふと私に向かって「ありがとうございます。」と他人行儀な口調で言う母。
私は本を閉じてすぐそばにある小確幸を胸いっぱいに味わった。
「こちらこそありがとうね、お母さん。」
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