ちいさな、さくらさく、、、
® 2009年にアップしたリユース記事です、
ウチの長男Sは、
幼稚園の運動会でも、転んで、泣いてた、、、
勉強もできなかったし、、、オール2とか、、、
しょっちゅう、チャリで事故ってたし、
ちびでやせっぽっちで、まったく、もてなかったし、、、
そして、中学生からは、とにかく、いろいろ、やってくれた、、、
主人とふたり、絶望し、暗澹としたことも、、数知れず、、、
認知症の母をうちで看ていたとき、
ちょうど、彼の高校受験と重なった。
徘徊があったので、わたしは面談にすら行くことができなかった、、、
" ママをみてて、大変なのは、わかるだろう?
おばあちゃんのことと、Sのことと、ふたつは、できない。
両方やろうとしたら、、両方、だめになる。
Sには、未来が、あるよね、、、、
でも、おばあちゃんに、残された時間はもうそんなにない、から、
ママは、おばあちゃんを、とる、、
だから、高校は、自分で調べて、自分で探して、自分で決めろ、”
わたしの父が亡くなったとき、わたしは、中学生だった。
そのときの自分と比べると、けれども、彼は、あまりにも幼かった。
男の子って、こんななのか、、、
なんて、甘ったれ、、、なんて、お子さま、、、
たった一人で、未知の受験の世界に分け入っていかなければならず、
どうにも不安な彼は、そして、いろいろと問題をおこしてくれた。
あまりにも不甲斐なくて、情けなくて、つかみかかっていったことも何度かある。
やせっぽっちとはいえ、中三の男児。
本気になったら、中年のおばさんなんか、殺すことだってできたろう、、、
でも、こっちは、崖っぷち、200% 本気の殺気。アドレナリン全開。
ふざけんな!、このばかたれが、、、甘ったれるな!!!
認知症の母に対して、積み重ねた我慢と辛抱が、このときとばかり、爆発する。
子どもとはいえ、
限界ぎりぎりのわたしの気持ちと立場、それは、わかるのだろう、
いろいろやらかしてはいても、
そういう時の彼は、ただ、、防戦一方だった。
おかげで、わたしは、階段から突き落とされたりされずに、すんだ、、、
そして、彼は、、、、
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