東北復興応援ツアー 2日目 大船渡
大船渡に、待ちに待った、ようやくの恵みの雨、、、
鎮火のニュースに、どれほど安堵と喜びの声があふれたことでしょう、、、
2012年に大船渡を訪れたときのレポです、
ガイドのSさん、ご無事でいらっしゃるのでしょうか、、、
®
大船渡、被災地ガイドSさんのお話
『昭和35年にも、チリ津波で被災した大船渡でしたが、
今回のは、想像を絶する、ジェット機の250倍の破壊力でした。
わたしは、賀茂神社に逃げて九死に一生を得ました。
ふだんは波静かで穏やかな大船渡湾ですが、なんと26波まで、津波は押し寄せました。
第一波で湾口防波堤は木端微塵になったと、被害の実態について詳しいお話がありました。
・津波をよく知る筈の自分でも油断がありました。
何事も想定外で片づけられますが、備えあれば憂いなし。
・神社の上の地区公民館に800人余りが私も含めて避難しました。
被災されていない方々がお米を持参してくれて、ステンレスの鍋でご飯を炊きました。
大きなちょっと芯のある、めっこめしのおにぎりを。
そして、あたり一面瓦礫の山で、歩くこともままならないなか、泥棒が暗躍したのです。
・電気が止まって、冷蔵庫が使えなくなるので、
ストックしてあった、ウニ、あわび、帆立などの高級食材を、
「こんなことでもなければ、食べられないし、
でも、こんな時に、こんな贅沢していいのかしら」と、泣き笑いで戴きました。
・カードの時代ですが、常日頃から現金を持ち歩くことも必要です。
わたしは、あの日、たまたま2万持っていたおかげで、食材を買うことができました。
そして、、、
「一番うれしかったことは、なんですか」と、お聞きした所、
「平泉が世界遺産に認定されたときのことでした。
日本中からボランティアの方々がたくさん来て下さってましたが、
その中のおひとりに、
“大船渡の人たちは、これほどまでに被災した中、黙々とがんばってる。
平泉が世界遺産なら、大船渡は、心の世界遺産だね”、と言われたことです。
それまで、ただの一度も泣くことは無かったのに、
ボロボロと涙がこぼれて止まらなくなってしまいました、、、」
ガイドのSさんは、昔ながらのパン屋さんを営んでいらしたそうです。
あんぱん、クリームパン、チョコパン、角パンにピーナッツやジャム。
地元でしか通用しないパンだと仰ってましたが、、
それはまた、地元でしか食べることはできないパンです、(^-^)
なかなか再建できないでいる、とのことでしたが、
Sさん、がんばってください、、、!
おばさんは、遠くから、エールを送ります、、、
・次は、陸前高田へ、、、
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