朝井まかて著 ”ボタニカ”
内容
ただひたすら植物を愛し、その採集と研究、分類に無我夢中。
莫大な借金、学界との軋轢も、なんのその。
すべては「なんとかなるろう! 」
――日本植物学の父、牧野富太郎。愛すべき天才の情熱と波乱の生涯!
「おまんの、まことの名ぁを知りたい」
明治初期の土佐・佐川の山中に、草花に話しかける少年がいた。名は牧野富太郎。
小学校中退ながらも独学で植物研究に没頭した富太郎は、
「日本人の手で、日本の植物相(フロラ)を明らかにする」ことを志し、上京。
東京大学理学部植物学教室に出入りを許されて、新種の発見、研究雑誌の刊行など目覚ましい成果を
上げるも、突如として大学を出入り禁止に。私財を惜しみなく注ぎ込んで研究を継続するが、
気がつけば莫大な借金に身動きが取れなくなっていた……。
貧苦にめげず、恋女房を支えに、
不屈の魂で知の種(ボタニカ)を究め続けた稀代の植物学者を描く、感動の長編小説。
道端の草や木に話しかける、変な子供だった私は、
牧野富太郎というお方に、興味を覚えておりましたので、
夢中になって観ている朝ドラ、「らんまん」。
大好きになった万ちゃんに、もっとたくさん会いたくて手に取った本書でした、
もちろん、小説ではあります、、、、
けれども、、、
類まれな才能に恵まれ、偉業を成し遂げた植物学者である彼の破天荒ぶりに、、、
もしや、ギフテッド、、、
もしや、発達障害だったのだろうか、と、、、
もし、生前の彼の講演会に行っていたら、私は、完全に魅了されて、
まちがいなく、追っかけになっていたと思います。
けれども、読み進めるうちに、巻き込まれてゆく、ご家族の方々がなんともお気の毒で、、、
草花好きが高じて、ご実家の莫大な資産を食いつぶしたお方、
この程度の認識のまま、このドラマを楽しめばよかったなと、、、
以下に心に残った一文を本文より転記します、
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樒(しきみ)*は、山林の中に入る常緑の小高木で、この岸壁の裏山でも、昔から目に馴染んできた。
墓所などにもよく植えられているのは、実が猛毒を持ち、
山犬が土葬した遺骸を掘り返すのを防ぐためだと、昔、祖母様に教えられたことがある。
猛毒ゆえに「悪しき実」と呼ばれ、いつしか、アが脱落してシキミと言う音になったらしい。今では、
墓守り、死人の枕飾りの如き役割を担っているのだから、人と植物の縁は実に不思議なものだ。
小石川植物園の公孫樹(イチョウ)は、樹高 六十五尺を超え、幹周りは三抱えほど、樹齢に至っては
およそ二百年と推されている。幕府の御薬園であったが、御一新後に御薬園は廃止され、
周辺の樹木についても「期限内に伐った者の所有として良し」と言う達しが下された。
新政府としては幕府の異物など残しておきたくなかったのだろう。
御薬園周囲の木々は材木や薪として伐採されて運び出されたが、この公孫樹だけは残った。
あまりに幹が太うて、鋸の歯が立たなかったらしいですよ。
期限内に伐採されずに難を逃れたのだとか。
古株の園丁から聞いたことがあるが、真偽のほどはわからない。
しかし、幹には確かに鋸歯の痕らしきものが残っている。
痛々しいと言うよりも雄々しい刀傷に見え、そこに瓦解した徳川幕府の面影を重ねる者もいるようだ。
屋久島であの杉に会った。幹の周囲は目算で50尺を超え、人の腕で抱えるとなると十人はいるだろう。
高さは七、八丈もあろうか。幹には古い瘤が隆々として、梢は見えない。
六時間も森を歩き通して暑くてたまらなかったのに、背中を冷や汗が伝って落ちた。
ただただ閑と、立ち尽くしていた。苔むした森には緑の気が息苦しいほどに充満している。
水の滴る音がして、雨かと空を見上げれば降ってはいない。だが額の頬も冷たく濡れている。
森であるのに海の中にいる。そんな気がした。深い、太古の海底に。このまま漂ってしまいそうだ。
藻屑の一粒となって永遠に漂い続ける。それが魂の至福であるとでも言うように、
体はゆらゆらと揺れ続けた。
宿に戻っても、日記にろくに記せぬほど放心していた。屋久島の木を切る者は魂を抜かれる。
そんな言い伝えがあるのだと後で聞いた。まさに、魂を吸われてしまうような気がした。
植物に対してあれほどの畏怖を抱いた相手は、後にも先にもあの杉が唯一だ。
まだ説明がつかないでいる。そう、科学を突き詰めれば、どうしても説明のつかない領域があることに
気がつく。それを人は神の領域として恐れ、鎮め、崇めてきたのだろう。
人間が踏み込んではならぬ域を弁える(わきまえる)ために、科学があるのかもしれない。
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*余談ですが、、、
うちの近所のシキミのレポは、こちらから、、、
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