山本文緒著 ”無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記” ☆
58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。
お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。
これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、
夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、
コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。
著者の、”自転しながら公転する” には、完全に圧倒されました。
誰にも、もれなく訪れる、死。
そこに向かう道筋は、百人百様でありましょう、、、
そのたった一本の、素晴らしい感性の持ち主の、最後の、闘病記、、、
深く、心に刻み込みました、
山本文緒さんの、最後の言葉のひとつひとつを、、、
★★★★☆
心に残った一文を、本文より以下に転記します、
夜中に手洗いに起きると、
夫がリビングでいびきをかいて居眠りをしていたので起こそうとしたが、少し考えてそのままにした。
この人がいま「もうすぐ妻が死ぬこと」から解放されるのは寝ている時だけだと思ったからだ。
食後、夫と録画してあった「アメトーーク!」を見る。
アッハッハと笑って全部見終わったら気持ちが無防備になったのか
「あー、体だるい。これいつ治るんだろう」と思ってしまい、
「あ、そういえばもう治らないんだった。
悪くなる一方で終わるんだった」と気が付いてだ―っと泣いてしまった。
どんなに良い人生でも悪い人生でも、人は等しく死ぬ。
それが早いか遅いかだけで、一人残らず誰にでも終わりがやってくる。
その終わりを、私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えることができる。
だから今は安らかな気持ちだ…
余命を宣告されたら、そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。
死にたくない、何でもするから助けてください、とジタバタするというのとは違うけれど、
何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮かべることはできない。
そんな簡単に割り切れるかボケ! と神様に言いたい気持ちがする。
ただ私はがん宣告を受け、それがもう完治不能と聞いた瞬間に
「逃げなくちゃ!あらゆる苦しみから逃げなくちゃ!」と正直思った。
それが私にとっての緩和ケアなのかもしれない。しかしこう思ったのと同時に、
あらゆる苦しみから逃げるのは不可能である、ということも分かっていたように思う。
今、私は痛み止めを飲み、吐き気止めを飲み、ステロイドを飲み、たまに抗生剤を点滴されたり、
大きい病院で検査を受け、訪問医療の医師に泣き言を言ったり、冗談を言ったり、
夫に生活の世話をほとんどしてもらったり、ぐちを聞いてもらったり、
涙を受け止めてもらったりして、病から逃げている。
逃げても逃げても、やがて追いつかれることを知ってはいるけれど、
自分から病の中に入っていこうとは決して思わない。
週に一度訪問看護婦さんが来てくださる日。
今日は薬の飲み方の相談や、先週から始めた酸素濃縮装置の使い方のコツなどを色々教えて頂いた。
そしてお話をしながら、ビニール袋と蒸しタオルでホットパックを作って、
それでリンパマッサージなどをしてくださった。
不安は晴れるし、知識は増えるし、リラックスまでできて天国のよう。
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