床屋さんの思い出
®
「海の見える理髪店」 を読んで、床屋さんのことをなつかしく思い出しました。
子どもの頃から、ほとんど、お洒落に興味がなく、
中学生になっても、髪がのびてくると、父にお金を渡されて、
「NHKに出してもらえないぞ、床屋に行って来い」
そんな、ある日、、、
ある日、中学校の先輩に、
「あなた、そんなヘアスタイルで恥ずかしくないの?」と、言われて、
ゼンゼン恥ずかしくなかった私は、びっくりしました。
後ろが刈上げのおかっぱ、そう、ワカメちゃんカット、だったのです、、、
友だちに聞くと、みんな美容院に行っていることが判明して、
それから、わたしも、母が通っていたパーマ屋さんに行くことにしたのです。
床屋さんの、白い陶器に泡立てた、クリームのようなほんわかと温かい石けんを、
柔らかいブラシでくるくると塗ってもらい、、、
細長い皮のような物で、しゅしゅっと剃刀を研いで、
そして、あの、肌に剃刀をあてられる、どきどきする、スリリングなひととき、、、
熱い蒸しタオルに、息が止まる、、、
・・・大きくて重そうな床屋さんの椅子、、、
いろいろなことをなつかしく思い出して、
この本のこの床屋さんに、行ってみたい、髪を切ってもらいたいな、と、、、
今では、また、おかっぱにしていますから、、、
後ろは刈上げではないけれど、、、
写真出典
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理容店の「赤」「青」「白」のサインポールの由来は?
くるくる回るサインポールの由来は、中世ヨーロッパまでさかのぼります。
その当時、病気などの患者さんに対し、ポピュラーな治療法のひとつに、
「瀉血(しゃけつ)」がありました。これは「身体の悪い部分には悪い血が集まる」という考えから、
その部分の血を抜き取るという治療法でした。
治療に際しては、患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、
そこを伝って受皿に落ちていくようにしていましたが、術後に血のついた棒をそのままにしておくのは
衛生上好ましくないとのことから、その棒を赤く塗って使用するようになりました。
その棒は、barber-surgeon's pole(理容外科医の棒)と呼ばれ、
後にbarber's poleつまり理容店の棒と呼称されるようになったといわれています。
治療が終わった後、洗浄したその赤い棒と傷口に巻いた白い包帯を店の軒先に干していたところ、
風に吹かれてその白い包帯が赤い瀉血棒にらせん状に巻き付きました。
その模様が、現在のサインポールの原形になったと言われています。
そののち、1700年代にフランスや英国で、理容師と外科医が区別された際、理容師は青を、外科医は
赤白にと定められたため、理容店の看板は今日の赤・白・青の3色になったといわれています。
その他色々と諸説はありますが、信頼性が高いこの「瀉血(しゃけつ)」説が有力と言われています。
*参考文献「全国理容環境衛生同業組合ホームページ『理容の歴史- 近代理容業篇』」
出典
®2017年6月にアップしたリユース記事です
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