”「一人称」の死へ 「賢い患者」の「生」への思いと最期”
・朝日新聞 「それぞれの最終楽章」より、以下に一部を転記します。
約30年前にがんで他界した父は死の直前、激痛に苦しみました。入院して緩和ケアを受け、
脊髄に麻酔を打つ治療法を提案されたんです。ただし、投与すれば長くて10日間くらいだ、と。
僕は正直に父に伝えました。すると「やってもらってくれ!」。
痛みから解放された父は約3週間後、自宅で穏やかに息を引き取りました。
父の決断は、僕にとって衝撃的でした。死を受容していたと思っていた禅僧が、
耐えがたい痛みに混乱し、いのちを延ばすより楽になるほう、つまり「死」を選んだのです。
そのころの僕は仏教の教えを説き、死にゆく人に心の安らぎを与えることこそ
僧侶の役目だと信じていた。父の言動は、そんなものは通用しない現実を僕に突きつけました。
やはり親しかった全国紙記者の佐藤健さんも、約20年前にがんで逝く直前、
鎮痛剤を増やすとそのまま永眠するという医師の言葉に「それを頼む」と即答しています。これらは
日本では許されていない安楽死といったい、どこが違うのか。割り切れなさが僕の中に残りました。
ある時、友人の医者が、、、
ある時、友人の医者が「今はセデーション(薬剤で意識レベルを下げること)によって、患者を
上手に、安らかに、美しく死なせるのが主流になっているのではないか」と疑問をぶつけてきました。
「穏やかな死」は「いい死」、もっと生きたいと訴え、もがき、苦しみ、悲しみを吐き出す死は
「悪い死」。そんなイメージが一般に定着しつつあることを、僕も気がかりに思っていました。
2011年の初夏、また大切な友人を見送りました。
大阪のNPO法人「ささえあい医療人権センターCOML」理事長の辻本好子さん(享年62)です。
長年「賢い患者になりましょう」を合言葉に、
患者が消費者として主体的に医療にかかわる重要性を訴えて活動してきた人でした。
彼女は10年夏、スキルス性胃がんと診断されました。余命1年と告知されても冷静でした。
死の半年前には、自ら入ると決めた神宮寺の永代供養墓を見せるために子どもたちを連れてきました。
この時、僕に「まだ私、ヨロイ・カブトを着けているわ」と言いました。
死の1カ月前、今度は僕が自宅に見舞うと「私、まだ抗がん剤やってるの」とほほ笑んだ。
そして死の10日前、病室を訪ねた僕に、時々顔をゆがめながらも穏やかに語り、静かに涙を
流し始めました。僕は戸惑いました。やせ細った手を握るだけしかできない自分が悔しかった。
亡くなった後、彼女は晩年「般若心経」を写経していたと知りました。
最後の行は「延命祈願」と記されていた。
「賢い患者」として死ぬよりも、本当は生きていたかったんじゃないか――。
死の現場を踏むほど、大きな宿題を課せられている気がしました。
(構成・高橋美佐子)=全6回
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僧侶・高橋卓志さん 1948年長野県生まれ。91年から松本市にある臨済宗「神宮寺」住職を務め、
2018年退職。龍谷大客員教授。著書に「寺よ、変われ」「さよなら、仏教」など。
◇朝日新聞デジタルの医療サイト「アピタル」で、詳しくご覧になれます。
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