”「論理」見失った先のコロナ渦五輪 最悪の未来 想定しない政府”
朝日新聞 6/2
”論理学者で国学院大教授の高橋昌一郎さんに聞く”より、以下に一部転記します
昨年3月、東京五輪・パラリンピックが1年間延期されることに決まった。
それ以降、もし日本政府が徹底した入国規制や人の流れの抑制を実施し、さらに今頃までに
国民の大半がワクチン接種を終えて新規感染者数がゼロに近付いていたら、五輪はまさに
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として、世界から称賛されたにちがいない。
ところが、昨年の夏から冬にかけて政府は
「 GOTO トラベル」「 GOTO イート 」キャンペーンを行い、感染が拡大した。
今春にはウイルスの猛威で重症者が急増し、 各地で医療体制の崩壊が迫っている中で、
大会関係者が多くの医療従事者を確保しようとして非難を浴びた。
今では国内外で東京オリンピックを中止すべきだという声が高まっている。
そもそもコロナウイルスは得体が知れず、専門家でさえ未来を予測するのが難しい。
そのような状況で次々と重大な決断を下さなければならない各界のリーダーが、
非常に困難な立場に立たされていることは理解できる。
しかし、政府はあくまで最悪を想定して、最善を尽くすべきだった。
日本はこの論理を見失ったため、全てがちぐはぐになったように映る。
緊急事態宣言下にも関わらず、会食する政治家がいた。
深夜まで大人数で送別会を開き、その後に集団感染を起こした官僚もいた。
要するにコロナを「過小評価」した人々が現在の危機的状況を招いたといえる。
オリンピックを成功させたければ、
日本は右往左往せずに、一貫して「危機管理の論理」を追求すべきだった。
実は、政府が論理を見失っていく兆候は、コロナ渦以前からあった。
国会の答弁では、「ご飯論法」などと呼ばれるような、意図的に論点をずらす奇妙な習慣が生まれた。
質問に正面から答えず、とにかく時間を稼ぐ。誰も責任を取ることなく、謝りもしない。
国会の質疑応答全体が、もはやコントのようにさえ見える。
そうした非論理がまかり通る背景にあるのは、、、
そうした非論理がまかり通る背景にあるのは、ネットの発達がもたらした「情報過多」だ。
次から次へと新たな出来事が起きて、流れてくる情報があまりに多いために、
その場でうやむやにしておけば国民は忘れてしまう。情報に流されて自分の頭で考えられなくなる。
では、どうすればいいのか。
逆説的に聞こえるかもしれないが、何かが「論理的でない」と思ったら、
ネットで記事にコメントするなり自分で文章を書くなり、とにかく発信するべきだ。
能動的に発信しようとする時、人は極めて論理的になりうる。
玉石混合の情報の中で、論理的な「玉」を増やすこと。
そうすることで非論理を淘汰し、社会全体が「論理的」な行動をとる道につながる。
上記 : 出典
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