帚木 蓬生著 ”安楽病棟 ” ☆
『内容紹介
深夜、引き出しに排尿する男性、お地蔵さんの帽子と前垂れを縫い続ける女性、
気をつけの姿勢で寝る元近衛兵の男性、
異食症で五百円硬貨がお腹に入ったままの女性、自分を23歳の独身だと思い込む女性……
様々な症状の老人が暮らす痴呆病棟で起きた、相次ぐ患者の急死。
理想の介護を実践する新任看護婦が気づいた衝撃の実験とは?
終末期医療の現状と問題点を鮮やかに描くミステリー!』
認知症の母は、我の行く道を身を持って教えてくれました、、、
老後の世界は、百人いれば、百通り、、、
未知なる、驚愕のさまざまな世界を、介護の現場を、垣間見せてくれる貴重な一冊、、、
★★★★☆
「あなたたちのうちのおそらく三分の一の、将来の姿です」
以下に、心に残った一文を転記します、、、
人様は自分の娘と一緒に住めて羨ましいと仰いますが、それは家の内の分からない方が言われること。
娘ともなると、そりゃあもう、遠慮がなくなってズケズケものを言うのです。
こちらにはそれに耐える力はございません。
これが嫁であれば、のっけのはじめから、身体の周りに渋紙でも貼りつけたようにして防ぎようがありましょうが、
娘となると渋紙の貼りようがないのです。他人だという気構えがなくなるからでしょう。
「これらスライドに出てくる高齢者たちは、あなたたちのうちのおそらく三分の一の、将来の姿です。
痴呆の割合は、年齢が進むにつれて上がります。まさか、みなさんは、自分は痴呆になんかならない、
五十歳まで生きれば充分などと、思ってはいないでしょうね。みなさんのうち、五十前で亡くなるのは
ほんのひとりか二人です。あとは、七十歳、八十歳、九十歳と生き続けるはずです」
校長先生だった下野さんなど、他人から指図されるのが大嫌いな性格です。大半の男子患者を誘導したあと、
「校長先生、急いで下さい。みんな集合しています」と耳元でささやくのです。
「おお、そうか」という表情で、下野さんが頷けばしめたものです。
風呂には興味を示さない室伏さんですが、元は土建会社の社長さんをしていただけあって、
少しばかりエッチでユーモアを解する心が残っています。
「室伏さん、お風呂です。今日も若い子を揃えております。どうぞ」
特別な声を出して誘うと、「おう、そうか」 室伏さんはおもむろに立ち上がるのです。
痴呆が最初に削りとっていく言葉は、この「ありがとう」ではないでしょうか。
逆に「ありがとう」と口をついて出る間は、痴呆はあっても軽いと言えます。
それだけに、痴呆病棟で耳にする感謝の言葉は千鈞の重みがあるのです。
――敬老の日の御祝いに今日来ていただいているご家族は、
まだ自分と老いとは無関係だと思われているかもしれません。
それほど老いに至る坂道は気がつかぬほどの微妙な傾斜でできています。
しかし、日々自分たちがこの坂道を下っているのは、動かしようのない事実です。
みなさんがたが今日、長寿を祝ってあげている父や母、あるいは姉や兄、
さらに祖父祖母、そしてひょっとしたら叔父さん叔母さんというのは、
将来の自分たちの姿であることをしっかりと頭にいれておかねばなりません。
・・・
みなさんの大部分が、もう老いの坂を緩やかに下りかけているのです。
敬老の日というのは知らず知らず老いの坂を下っている自分を確認する日だと考えるべきです。
脳死と判定されたとき、、、
「雰囲気の中で、最終決定は主治医がしているのが現状なんだ。問題はその雰囲気がない場合だよ。
主治医はとことん治療を進めるしか方法がなくなる。徹底的に攻めまくって、生き続けさせる。
こっちには道具立てが揃っているから、たいていのことでは負けない。しかし生きている本人は
意識もなく、ベットの上に横たわっているだけだ。その状態が半年も一年も続く。下手をすると
五年も続く。そうなれば、死というおっかない猫に、誰も錫をつけに行けなくなってしまう」
家族はいったん患者さんを入院させると、何日もしないうちに、患者さん抜きの状態に親しんでしまうようです。
そんなところに、患者さんに関する用件を持ち込むと大きな抵抗に遭います。
排除した異物が再び飛び込んでくるのではないかと、家族の警戒心はひとしおなのです。
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