熱海散策② ≪起雲閣≫
5/7(火)、熱海市の指定有形文化財、起雲閣へ、、、
麒麟の間では、録音テープが流れているのかと思いましたが、驚いたことに、
ガイドさんがヘッドセットマイクで起雲閣の来歴など丁寧にアナウンスしていらっしゃいました。

起雲閣を守っているのは主婦ばかりの、NPO法人あたみオアシス21、
『スタッフは女性ばかり12名です。下は40代から上は70代まで、みんな長年熱海で暮らしている
主婦ばかり。他にも、シルバー人材センターの方がお掃除や見回りをしてくださったり、
ずっとボランティアで館内のガイドを続けてくださっている方もいます。
“この場所を残したい”という思いがつながっている仲間たちに支えられています(中島館長談)』
『』内:出典
『スタッフはみんな“主婦目線”を持っているので、
“ここがギシギシして傷んできたから直したほうがいいわ”
とか、“ここはもっと経費の節約ができるわ”とか、
女性特有の細かいところまで目が行き届くんです(笑)。』
そして、、、
職人が一枚一枚流し込んで作った、時空がゆがんでいるかのような、貴重な「大正ガラス」

ステンドグラスの明るいアールデコ調のサンルーム、タイルは清水焼きだとか、、、

「玉姫」、「玉渓」のガイドさんが教えて下さり、
ひざまずいて、わたしどもの写真を撮って下さったり、、、
「閑雲、ってどういう意味ですか?」
「悠々自適ということだそうです」
「あれは、木彫りですか?」
「漆喰なんですよ!」
「この目地には、貝殻が埋め込まれています」
広い邸内には、チリひとつなく、手の込んだ見事な文化財より、
スタッフのみなさまの、この館を大切に守ろうとなさる心意気に打たれました、💓

『1907(明治40)年、小田原~熱海間を結ぶ国鉄熱海線が軽便鉄道線として開業をきっかけに、
東京から気軽に出かけられる保養地として
多くの実業家・学者・文化人らが別荘を構えるようになった。
「起雲閣」は、1919(大正8)年に、
海運王・内田信也が足の悪い母のために建てた、純和風の“バリアフリー設計”の別荘で、その後、
1925(大正14)年に鉄道王・根津嘉一郎が二代目所有者となって隣地を買い広げ2棟を増築。
さらに戦後1947(昭和22)年には、
石川県能登町出身の実業家・桜井兵五郎が、旅館『起雲閣』を開業。
・・・屋主が変わるたびに豪華なしつらえと建物の機能がどんどん更新されてきた。』

『しかし平成に入ると、
地元の人たちから「お別荘」と呼ばれていた大正~昭和初期の贅を尽くした建物は
後継者不在や相続税問題などから人手に渡るようになり、
ことごとくバブルの泡に飲み込まれて、リゾートマンション等へと変わっていった。
1999(平成11)年に旅館が廃業となり『起雲閣』は競売にかけられることになりました。
3000坪もあるこの場所が人手に渡ったら、きっと建物は壊されてマンションになってしまう
・・・そうした中で市民運動が起こり、地元から保存を望む声が挙がりました。
競売物件はとてもややこしいのですが、地元の強い要望に背中を押される形で、
熱海市がこの敷地と建物を取得し、市民運動の女性代表をしていた流れでNPO法人を立ち上げ、
2012(平成24)年から『起雲閣』の管理運営を任されるようになりました」(中島館長談)』
起雲閣も素晴らしかったのですが、私は、ここで働く女性たちに心を打たれました、、、
おかげさまで、晴れやかな気持ちになって、
今宵のお宿に向かいます、、、

途中で、こちらもまた、tomoさんに教えて戴いた、「石澤商店みかん問屋」
ふぞろいの蜜柑たちが、どれでもひと山、300円♪

試食コーナーもあり、どれもみんなおいしくって、おいしくて、、、迷った挙句、、、
紅甘夏と、ぶんたん、せとかを購入
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