長尾和宏著 ”痛くない死に方” ★
『内容紹介
2000人の最期を看取った医師だから言えること。
“痛くない"〝苦しくない"人生の終わり方とは?
私は在宅医として、末期がんの患者さんは9割以上、
非がんの患者さんは半分くらいの確率で、家で看取ることになります。
在宅での看取りの直後、ご家族は必ずこうおっしゃいます。
「思ったよりずっと楽に逝きました。苦しくも、痛くもなさそうでした。ありがとうございました」
がん終末期、老衰、認知症終末期、臓器不全、心不全、肺炎……2000人を看取った医師が明かす
今まで誰も言わなかった“痛くない"“苦しくない"人生の終わり方。
平穏死という視点から、「痛くない死に方」についてできるだけ分かりやすくまとめた一冊!
出版社からのコメント
ある葬儀屋さんがこんなふうに言っていました。
「自宅で平穏死した方のご遺体は軽い。
でも、大学病院で亡くなられた方のご遺体はずっしり重いんです」
実は、枯れて死ぬ最期(平穏死)と、溺れて死ぬ最期(延命死)では10キロ以上の体重差があるのです。
どちらが痛くて苦しいかは……言うまでもありません。』
伊丹十三監督の映画「大病人」で、終末期医療の実態を垣間見て以来、
心の奥底にずっとくすぶり続けていたことを、この本があらためて考えさせてくれました、、、
★★★★★
以下に、心に残った一文を転記させて戴きます、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あらゆる治療には延命と縮命の分水嶺がある。”やめどき”を見極めよ、と申し上げたいのです。
では自然な死に方とは、枯れゆくように死んでいくということです。
その反対の死に方は、溺れながら死ぬ、ということ。
人生の最後の10日間に過剰な点滴など延命治療をした人は、咳や痰で苦しみ、ベッド上で溺死している。
これが日本人の大半なのです。
平穏死を妨げているのは、「終末期医療への無関心」であるように感じます。
平穏死のための第一の条件は、「望んでも簡単には平穏死できない現実」を先ずは知っておくことです。
・8割の人が平穏死を望むも8割が叶わない
・8割が管だらけのまま最後を迎えている
若くして末期がんと診断されたお母さん。
「死」がどういうものかまだ理解できない小さなふたりのお子さんに対し、
今後成長していく過程で節目節目に読んでもらいたい手紙を残して旅立たれたそうです。
子どもたちはそれを毎年、誕生日に読みながら育ったのだそうです。
日本尊厳死協会は40年の歴史がある会員数12万人の市民団体で、リビングウィル(LW)の普及啓発と管理を
行っています。入会して、医療機関にかかる時、最初にそのカードを提示するとコピーがカルテに挟まれ、
若し意思表示が出来なくなった時に、延命治療を拒否したいという自分の意志を伝える手段になるのです。
ちなみにアメリカでは、国民の41%がLWを表明している一方、日本ではせいぜい1~2%と推定されています。
転倒⇒骨折⇒入院、
これを2~3回繰り返すと、ある程度の年齢の方なら必ずと言っていいほど認知症状が出てきます。
寝たきり状態に陥るとすべてが悪循環となり、
ついには廃用症候群、誤嚥性肺炎の繰り返し、そして胃ろう増設というコースが予想されます。
ピンピンコロリが口癖だった可愛いおばあちゃんが、転倒・骨折から寝たきり、胃ろう栄養となり、
気がつけばただ生かされているだけの状態、という光景を何度も目にしてきました。
転倒予防はほんとうに大切です。
私は歩く習慣を勧めています。毎日、5分でも10分でもいいです。1000歩でも2000歩でもいいです。
両手を手ぶらにして胸を張って肘を後ろまで引いて歩くことを毎日の診療の中で指導しています。
がんや老衰で不治かつ末期の状態になり、
これから平穏死に向かおうという場合、ゆっくりと脱水が進むことは決して悪くないと思います。
脱水状態では体全体が省エネモードになっています。まず心臓に負担がかからず心不全になりません。
呼吸が楽で、浮腫が少ない。胸水や腹水に悩まされることが在宅では病院ほどありません。
「胸水や腹水を抜く」と言いますが、
水分と一緒にアルブミンという貴重なタンパク、栄養素も抜いています。
赤血球を除いた血液を抜いているようなものです。血液をたくさん抜けば体が弱るのは当然です。
脱水のみならず、「貧血も友」なのです。がん細胞に供給される血液が減るとがんの進行も遅くなります。
たくさんのお水や栄養を人工的に入れれば、がんが急成長するだけでなく、胸水・腹水、腸閉塞、嘔吐、
呼吸困難などの苦痛が増すだけです。在宅での最後がすべて平穏なの理由の根幹は個々にあります。
もちろん、緩和医療をしっかり行うことは言うまでもありません。
「平穏死」のための最後の条件は、「緩和医療の恩恵にあずかろう」です。
痛みを軽減させるために必要な麻薬の量は、患者さんごとに、また病気の時期でまったく違います。
その時々に適した投与量を探る作業を「至適容量設定(タイトレーション)」と言います。
「痛み」に耳を澄ます「感性」が、平穏死を担う医療者には求められるのです。
日本における麻薬使用量は、国際的にみてかなり低いことが指摘されています。
我慢強い国民性なのか、それとも医師が患者の痛みに鈍感なのか。おそらくその両方でしょうか。
いずれにせよ、緩和医療が平穏死の土台として必須です。
痛みとは肉体的なものだけではありません。
それ以外に、精神的な痛みや社会的な痛みや、魂の痛みがあります。
お薬以外にアロマテラピー、アニマルセラピー、タッチケア、傾聴、音楽、カウンセリング、宗教なども
総動員してトータルペインに寄り添うことが私たちの使命。
「緩和ケア」という大きな概念で包むことこそが、今後の日本の医療・介護の本流ではないかとさえ思います。
「救急車を呼ぶ」、ということは、甦生、それに続く延命治療への意思表示です。
救急車が到着したときに心肺停止から時間が経っていたら、警察が呼ばれます。
「在宅看取りと決めたら救急車を呼ばずに、在宅主治医に電話して待つように」と書いたパンフレットを
全国に配ってきました。末期がんや老衰になったら、大きな病院に主治医がいても往診してくれる、
「かかりつけ医」を別にもつことです。「病院の専門医」と「地域のかかりつけ医」の二刀流で、
これが高齢化社会の医療の基本型となりつつあります。
「死の壁」・・・死ぬとき、人はどうなるのか?
傾眠・せん妄⇒意識レベル低⇒下顎呼吸から呼吸停止へ。
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私は「人」を看取ったことはありませんが、「動物」を看取って来ました。
当り前のように、歳をとると、いろいろな事が起こります。
最後は、あんなに大きかった腫瘍も、いつのまにか小さく消えたりします。
でも、身体は、ペラペラの紙のようになっています。
先生からは「最後は寄り添うだけです。余計な処置は苦しむだけですよ」と、
静かに見守ると、下顎呼吸が始まり、その後には帰れなくなるのも見てきました。
人間も動物と同じですよね。
投稿: たかむがんば | 2018年4月19日 (木) 20:52
きぬえさん
こんばんは。この本、母の終末期に読みました。それまでも大井玄さんや石飛先生の本を読んできましたが、大井先生の本を心構えというか、考え方を知る本とすると、長尾先生の本は具体例が書かれていると感じます。どちらも大事だと思いました。どちらも何度も読みました。
母は食べなくなって2か月で旅立ちました。母が認知症になってから、いつかくるその日のために、延命はしないと、ずっと考えてきました。それでも、その時は迷いました。3週間くらい迷い、泣き、それから覚悟しました。私が覚悟する時間を母が与えてくれたのだと思います。
印象深かったのは私が外来でかかっている在宅をされるクリニックの若い先生に、母のことを相談すると「本音を言えば、医者も注射なり点滴をするほうが、何か役立ってる感じがして楽なんです。何もしないほうが、しんどいです。」と言われたことでした。
母の介護にあたっては多くの方々といろんな本に支えられたと思います。また遠くない日、父を看取るとき、長尾先生の本や大井先生の本を読み返すと思いました。
投稿: もず | 2018年4月19日 (木) 21:46
ほんとうに人間も動物もおなじなのですね、、、
>ペラペラの紙のようになって、
「最後は寄り添うだけです。余計な処置は苦しむだけですよ」
・・・まさに静かな平穏死を迎えられたのですね、
いい獣医さんに巡り合えて、おしあわせな動物たち、ですね、、、
投稿: きぬえ | 2018年4月20日 (金) 09:05
もずさんらしく、たくさん御本を読まれて、お心積もりなさっていらしたのですね、、、
>私が覚悟する時間を母が与えてくれたのだと思います。
・・・まさに、そのとおりだと、私も思います、、、
クリニックの若い先生のお言葉も、私の心に届きました、、、
いい先生に恵まれておしあわせですね、、、
私も、母の介護をしていたときに、やはり、たくさんの方々や本に支えられていました、
たくさん、たくさん、教わりました、、、
投稿: きぬえ | 2018年4月20日 (金) 09:12