青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸
ぱしふぃっくびいなすは、6/22(木)、8:00に青森港に入港しました。
OPには参加せずに、青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸、ねぶたの家、ワ・ラッセと廻りました。
『昭和63年、青函トンネル開通によって廃止されるまで、
約80年に渡って青森~函館間を結ぶ交通の要であった青函連絡船の博物館。
青函航路の花形だった八甲田丸を、往時に近い状態で、メモリアルシップとして、
当時の桟青函連絡船橋付近に係留展示されています。』
八甲田丸、3階には、、、
『時は昭和30年代。活気にあふれる青森駅前を題材にしたジオラマ「青函ワールド」』
そして、、、
『青森駅前から数メートルも連なる市場でりんごや魚介類を売る元気な売り子さん。
青森、北海道間を物資交換の為、大きな風呂敷を背負って連絡船へ急ぐかつぎ屋さんなど、
青森駅前とその周辺は毎日、人で賑わっていました。』
青函連絡船80年にわたる航跡の記録などをテーマにしたミニビデオシアターでは、
往時の連絡船の様子を垣間見ることができます。
線路を繋げて、貨物車が船に乗り込んでいく様が圧巻でした、、、
ブリッジ、こちらも後ろ姿は、人形です、
『1階の車両甲板
世界的にも珍しい、鉄道車両を搭載する為のスペースです。(貨物車48両搭載型)
現在は廃車となった貴重な郵便車両(スユニ50 510)や、、、』
『当時は安全上の理由で搭載不可だった気動車キハ82系など9両展示。
更に、貨車の出し入れに欠かせない可動扉(開放不可)もこの階にあります。』
『地下1階
エンジンルーム(単動4サイクルトランクピストン排気ターボつきディーゼルエンジン1600馬力8基)
昭和29年「洞爺丸台風」の襲来で、当時船尾扉がなかった船に海水が入り、
すべての制御盤が起動しなくなったことから座礁・転覆。
死者・行方不明者あわせて1,155名という、タイタニック事故以来の大惨事となってしまいました。
この海難事故から新型船の登場と平行し、青函トンネルの着工が始まりました。
そして昭和63年3月。
海底に作られた青函トンネルの開通と同日、青函連絡船は80年間、貨物車を運んだ役目を終えました。』
以上『』内、出典
船の中に並ぶずらりと並ぶ鉄道車両、そのスケールに圧倒され、、、
忘れていた、洞爺丸の悲惨な記憶が甦り、いろいろなことに思いを馳せて、感慨深く、、、
そして、次の、ねぶたの家、ワ・ラッセ は、、、
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