上五島 青砂ヶ浦教会、頭ヶ島天主堂、蛤浜
「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。
その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」
世界13か国語に翻訳された、遠藤周作の「沈黙」の舞台となった五島列島は、
いつか訪れてみたいと思っていたところです。
にっぽん丸は、軍艦島を周遊し、屋久島、上五島と寄港します。
『300年にも及ぶキリシタン禁教令下の弾圧に耐え、のちに信者たちが浄財を捧げて造った教会群
新上五島町に点在する29の教会は、信仰を守り続けてきた人々の祈りのあかしです。』
青砂ヶ浦教会(アオサガウラキョウカイ)、国指定重要文化財
新上五島町(旧魚目村)出身の名工、鉄川与助が設計・施工した、
奈摩湾を望む高台に建つ赤いレンガ造りの教会堂。
教会内は神聖な祈りの場であるため、撮影は禁止ですが、外観の重厚な趣からは想像できない、
花をモチーフにした可憐なステンドグラスに見とれてしまいました。
『頭ヶ島天主堂(カシラガシマテンシュドウ)
1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島。
五島崩れの時、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、迫害が終わってからこの地に戻ってきた。
2001年に国指定重要文化財、更に世界遺産暫定リストに掲載された
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する教会のひとつである。』
すぐ前は、この海、、、
後ろに山を配した、この絶好のロケーションの天主堂に一歩足を踏み入れると、、、
なんて上品で、なんてかわいいんでしょう、、、
またしても予想を裏切られる、
ピンクを効果的に使ったファンタスティックな色使いの内装に息を呑みます。
この島々の想像を絶する恐ろしい歴史のかけらもここには無いから、でもあります、、、
恨みも、憎しみも、、怒りさえも、、、
その言葉を失うあまりにも凄惨な殉教とは、、、
久賀島・牢屋の窄(さこ)の殉教 (五島崩れの発端の地)
『1868年(明治元年)11月12日,23人のキリシタンが捕えられ、
福江の城下の牢に入れられ拷問にかけられる。
その後,全島のキリシタン老若男女,幼児まで,200人近い信者が捕えられ,
前の23人と共に松ケ原の牢に閉じ込められ,
呵責,算木責,火責,晒し責,押から責,氷責,水責, 竹責,十手責などの方法で
拷問にかけられた。
・・・
牢の広さは桁行3間,梁間2間の6坪(たたみ12枚)のバラック,中央を厚い板で仕切り,
男牢と女牢に分け,ぴったりと戸を閉めきった言語に絶する狭いものであった。
たたみ一枚の広さに何と15人の者を入れていたことになる。
多くは人の体にせり上げられて足は地につかず,さらに身動きすらできない状態であった。
食べ物も小さなさっま芋を朝に一切れ,晩に一切れ支給するのみで,
子供を抱えた母親はそれすら自分の口に入ら ず飢えを叫ぶ子供の手に奪われる。
そのような状況の中,老人、子供は飢えと寒さの為次から次と倒れた。
最初に死んだのは79歳のパウロ助市だった。その死骸は すぐ葬ることも許されず,
5昼夜も牢内に棄て置かれ,大勢に押し潰され殆ど平たくなってしまった。
牢内にはトイレもなく,その不潔さとにおいは例えようもないほどひどいものだった。
やがて蛆虫が湧き,土間全体に広がり着物を伝って這い上がり,噛まれた者も少なくはなかった。
特に13歳のドミニカたせは蛆に下腹を噛み破られ死亡した。
牢内に囚われること8ケ月,一般信者はすぐ解放されたが,指導的立場の信者が解放されたのは,
それから2年余 後だった。その間牢内で死亡した者39人,出牢後死亡した者4人を数えた。
1969(昭和44)年,九州電力発電所の建物を利用し,殉教者顕彰のための聖堂が創設された。
その後1984(昭和59)年、記念聖堂が建立され,牢跡には殉教記念碑が建てられている。』
『この悲劇がプティジャン神父によってヨーロッパに伝えられると、
日本は各国から非難を受けるようになり、やがて明治政府はキリスト教を認めることとなった』
バスが次に向かったのは、見事な自生のはまゆうの大群落を有する、、、
どこまでも続く、エメラルドブルーの遠浅の海、蛤浜です。
まっ先にバスを降りて、裸足になって海に入っていったヘンなおばさん、、、
それは、、、わたしです、、、
だって、こんなにきれいな海を、黙ってみているだけなんで、そんなこと、、、、
西海国立公園・若松瀬戸に架かる全長522mの若松大橋から絶景を眺めて、、、
このOPのお昼は、五島名物、五島うどんの地獄炊きでした、ごちそうさま♪
長崎の知人にお土産で戴いて以来トリコになった、かんころ餅をそれこそ、大量に買い込みました、、、
さつまいも好きのお方には、おススメ致します、
上五島の歓迎セレモニーは、大漁旗にゆるきゃら、
そして、元気いっぱいチビッ子たちのダンスでした♪
にっぽん丸は、金沢港に帰航します。
長々と、とびとびでしたが、四泊五日のクルーズ乗船記をこれにて終えます。
最後までお付き合いくださり、ほんとうにありがとうございます!、
・金沢の夜は、、、こちらから、、、
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こんにちは!
石油備蓄基地は港の手前にあるようです。
北九州の沖合にもありますが、アクセスがないので、残念ながら見れません。
昨年ドタキャンしましたが、目的の一つはそれ見たさでした。
この度のクルーズは満足度が高かったのでしょうか?
ヴォリュームが違いますね。
次はなんだろう?
隠岐から金沢へ行った時は東尋坊へ道草しましたよ。
そろそろ終わりかもしれませんが・・・。
投稿: たかむがんば | 2016年7月30日 (土) 15:55
石油はなくてはならないものですし、
その威容は圧倒されるスケールかと思われますが、残念ながら私はほとんど興味がなく、、、
教会が目当てでした、、、m(__)m
お天気にも恵まれ、かねてより行ってみたいところばかりのクルーズで、
とても満足致しました、が、
ボリュームは、いつもとそうは変わらないと存じます、、、
ただ一枚一枚の写真のサイズが大きいことと、
いつもなら二日に分けていた記事を一日でまとめていることで、そう感じられるのやもしれません、、、
投稿: きぬえ | 2016年7月31日 (日) 09:08
初めまして〜いつも楽しみに拝見しています
今回の旅行も興味深々でいってみたいですが
若い時に船酔いをしてから船に乗っていません
船酔いをしてる方はいましたか?
その辺りを教えて頂ければ嬉しいです
投稿: さくら | 2016年8月 1日 (月) 09:29
はじめまして
いつも楽しく拝見させていただいております。料理レシピも参考にさせていただきありがとうございます。
上五島に反応いたしました。
わたくし下五島在住です。転勤で上五島にいたこともあり嬉しくて写真に見とれてしまいました。
こんな田舎からHPにお邪魔させてもらってます。よろしくお願いいたします。
投稿: じゃん | 2016年8月 1日 (月) 12:42
初めまして、こんにちは、(*^_^*)
船酔いについては、以前に書いたこちらの記事をよかったら、ご参考までに、、、
http://kinue-m.cocolog-nifty.com/17/2012/02/post-d486.html
投稿: きぬえ | 2016年8月 1日 (月) 15:10
をを~!、
なんと、なんとはるばる下五島のお方から~?!
こういううれしいコメント戴けちゃうので、
ブログをやめられないンです~!、
風光明媚で、かわいい教会、、、すてきなところにお住まいなんですね、、、
これからも、どうぞよろしくお願い致します♪、
(*^_^*)
投稿: きぬえ | 2016年8月 1日 (月) 15:13