旧根岸競馬場、一等馬見所跡
山手の瀟洒な新築のお宅のランチによんで戴きました♪
ご主人のサラダのドレッシング、奥さまのチキンのトマト煮といい、プロ級の手料理に、
シックな高級レストランと見まごうばかりのしつらいに、
おじさんとふたり、完全に圧倒されました!、
極めつけは、多彩なご主人のトーク、、、政治、経済、車、絵画にインテリア、、、
見知らぬ世界に驚き、とっても勉強になりました!、
・・・そして、たっくさん笑いました~♪
ごちそうさまでした!、楽しいひとときを、ほんとうにありがとうございました!、
帰りにすぐ近くの、根岸森林公園にある、
前から、この目で観てみたいと思っていた、旧根岸競馬場、一等馬見所跡へ立ち寄りました。
まるで、ヨーロッパの重厚な存在感に満ちた、堂々たる古城そのもの、、、
これは、、、
日本初の洋式競馬場は1866年12月に横浜の根岸で誕生し、
翌月の1867年1月、レースが開催されている。
この「根岸競馬場」は1942(昭和17)年に幕を下ろすまで、76年間の歴史を歩んだとされる。
J・H・モーガン設計による一等スタンドで、
現在ではこの建物だけが往時をしのぶ時代の遺物となっている。』
『総工費は約40万円(現代の貨幣価値で約20億円程度と考えられる)、
当時としては目を見張る近代建築だったという。
支柱をできるだけ少なくして、左右のコーナーもよく見渡せるようにした。
「日本一見やすいスタンド」と言われ、全国の競馬スタンドのモデルとされた。』
『旧根岸競馬場は1942(昭和17)年10月の開催を最後に、閉鎖に追い込まれた。
当時は紛れもなく戦争中であり、閉鎖の理由としてこの地が横須賀軍港を一望でき、
艦船の動きから航空廠、工廠、諸学校の実験、研究、演習まで海軍の動静を
詳細に探知することが可能で、防諜上無視できないこと。
さらにこの競馬施設は、そのまま海軍の作戦のための通信連絡要務に利用できる条件を
備えていたことという二点が挙げられている。』
『1987(昭和62)年に大蔵省(現:財務省)から横浜市に
「市民の文化施設として使用すること」を条件に、
建物とその敷地1万1,648㎡(横浜スタジアムのグラウンド面積の約0.9倍)が売却された。
その後、二等スタンドは老朽化のために解体された。
現在は一等スタンドだけが古色蒼然と取り残されている。
しかし現在、スタンドはものものしい囲いに覆われて、中には入れない。』
『』内出典 : はまれぽ
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