三田 薬王寺へ、、、
祖母のお墓参りに行って参りました。
三田の日蓮宗寺院、薬王寺へ、、、
境内には、有名な、“朝顔の井戸”があります。
加賀千代が「朝顔につるべとられて貰い水」と詠んだ井戸です。
お墓参りをすませて、すぐ近くの、
あの有名な、おだんごやさんへ、、、
なつかしいお団子屋さん、、、
昭和天皇御用達、かの有名な 松島屋さん です。
ちょっと遅れをとったので、お目当ての大福とみたらしはとっくに売り切れで、
豆もちとキビもち、お赤飯を買い求めました。
店内には、氷で冷やす昔ながらのレトロな冷蔵庫。
今では、氷代が恐ろしく高くついてしまうので物置になっているとのことでしたが、
その醸し出す風格は、さすがです、、、
薬王寺に祖母が眠っていること、
三十年前に、薬王寺に隣接するマンションに住んでいたことなど、
親しくお話しさせて戴き、すっかりほのぼのとあたたかな気持ちになれました、、、
インパクトのある招き猫の絵に目が釘付けになっていると、
近隣にお住いの、秋山 祐徳太子氏の作品とのことでした、、、
そして、この御本のチラシを下さいました。
『朝日新聞(書評)『秋山祐徳太子の母』 秋山祐徳太子〈著〉
◇世界最強の母子家庭!
生まれながら世間と折り合いのつかない人がいる。
そういう人物には、あんたはそのままでいい!という応援者がいると、
その力がユニークな方向に爆発する
都知事選に出馬し、グリコならぬダリコと描いたシャツで走るなど、
60年代から反芸術活動を行ってきた現代美術家、秋山祐徳太子の母千代がそうだった。
東京芝の生まれで生粋の江戸っ子だが、
秋山が1歳のときに夫と長男を相ついで亡くし、母ひとり子ひとりに。
戦前戦後と新富町で汁粉屋を営んで息子を育てた。
ふつうならひとり息子の立身出世を夢みるだろうが、千代はちがう。
彼の性格を見抜いており枠にはめない。過激なパフォーマンスで彼が当局から追われたときも、
こそこそしないで堂々と捕まれ!と叱咤(しった)する真の芸術心の持ち主。
胸がすくような筋の通った江戸言葉がぽんぽん飛び出す。
今年80歳になった著者のためらいのない母へのオマージュは、
明治生まれの女性への挽歌(ばんか)にも聞こえた。
大竹昭子(作家) 』
三十年前の、昭和天皇をお見かけした、魚籃坂での思い出話は、こちらから、、、
そして、おじさんとおばさん、次男の三人は、お昼ごはんを戴きに、、、
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泉岳寺に下りて行く途中の「オモニの台所」はまだあるのだろうか?
この辺りは第一京浜と桜田通りの間の小高い場所で、車も少なく、
低層の建物だけで、少し静かで・・・、6年前までは歩いていた場所です。
このお店もわかりますよ。
「甘いものは人を和ませる」と言いながら奥様が買っていました。
あれ?年末のWC?来年のGC?だったのでしょうか・・・。
投稿: たかむがんば | 2015年8月22日 (土) 06:20
オモニの台所は、残念ながら、行ったことがありませんでした、、、
あのお団子は、昭和天皇が弟君の高松宮邸をご訪問なさった折には、
よくご所望なさったことで有名です、、、
三十年前には、伊皿子の交差点に
古い小さな瀬戸物屋さんなどが、軒を並べていましたが、
そこは、立派なピーコックの新店になっていました、、、
そのころ住んでいた、シーアイ高輪は、まだ、そのままでした、、、
投稿: きぬえ | 2015年8月22日 (土) 09:52