"高倉健さん死去 被災地思い続け 少年の写真「宝物」持ち歩く"
『2011年3月14日に宮城県気仙沼市で撮影された、
震災のがれきの中で水を運ぶ松本魁翔君の写真。
高倉健さんは、最後の主演映画の台本に貼っていた。』
東京新聞、11月19日朝刊より、以下に転記します、、、
義理人情に厚く、寡黙で不器用でいちずで、、、
10日、83歳で亡くなった俳優、高倉健さんは、
「こうありたい」という男の姿を演じ続け、映画ファンを魅了した。
ゆかりの人が語るオフショットの「健さん」も、
役柄のイメージそのままに、人の悲しみに優しさで寄り添う男だった。
新聞に載った一枚の写真をきっかけに、高倉さんは東日本大震災の被災地へ思いを寄せていた。
宮城県気仙沼市でがれきの中、唇をかみしめて水を運ぶ少年。
高倉さんは、最後の主演映画「あなたへ」(2012年公開)の台本にこの写真を貼り、
持ち歩いていたという。がれきの中を歩く少年は、同市鹿折中二年の松本魁翔(かいと)君(14)。
震災の津波で市内の自宅が全壊し、近くの親類の家に身を寄せていた松本君は
「みんなの役に立ちたい」と黙々と井戸水を運んでいた。
高倉さんは、新聞から切り抜いた写真を「宝物」と言って台本に貼り付けた。
「毎朝、写真を見るとぎゅっと気合が入る」と語っていた。
高倉さんと松本君は手紙も交わしている。
「気仙沼を立派にして健さんを招待したい」と松本君が送った手紙に昨年四月、
高倉さんから返事が届いた。
「常に被災地を忘れないことを心に刻もうと映画の台本に
魁翔君の写真を貼って毎日撮影にのぞんでいました」
「私は魁翔君があまり注目されすぎてしまうことをのぞみませんでした。
人生で一度しか味わえない子供時代の日常生活を、
できるだけ平穏に過ごしてほしいと願っているからです」と、
松本君を思いやる心情もつづられていた。
手紙は「遠くからですが、貴方(あなた)の成長を見守っています。負けないで!」と
締めくくられていた。
「健さんは心が熱い熱い人。俺もこういう人になりたいと思った」と松本君。
手紙をもらったことはこれまで秘密にしてきたが
「俺のように、読んだ人が元気をもらってくれるならうれしい」と言う。松本君は
「健さんには大きな力をもらった。気仙沼が復興する姿を見守っていてほしい」と復興を誓った。
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