石川 拓治著 奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 ☆
『内容(「BOOK」データベースより)
リンゴ栽培には農薬が不可欠。誰もが信じて疑わないその「真実」に挑んだ男がいた。
農家、木村秋則。
「死ぬくらいなら、バカになればいい」そう言って、醤油、牛乳、酢など、
農薬に代わる「何か」を探して手を尽くす。やがて収入はなくなり、どん底生活に突入。
壮絶な孤独と絶望を乗り越え、ようやく木村が辿り着いたもうひとつの「真実」とは。 』
圧倒される、一冊。
★★★★☆
以下に、本文より、心に残った一文を転記します、
ただ、タヌキの被害に悩まされた。
収穫間際になると、たっぷりと太ったトウモロコシが、ごっそり喰われてしまうのだ。
「それで畑のあっちこっちに、虎鋏をしかけた。そしたら、仔ダヌキがかかったの。
母親のタヌキがすぐ側にいてさ、私が近づいても逃げようとしないのな。
虎鋏をはずしてやろうと思って手を出したら、仔ダヌキは歯を剥いて暴れるわけだ。
可哀想だけど、長靴で頭を踏んづけて、虎鋏をはずして逃がしてやった。
ところが、逃げないのよ。
私の目の前で、母親が仔ダヌキの足、怪我したところを一所懸命舐めているのな。
その姿を見て、ずいぶん罪なことしたなあと思ったよ。
それで『もう食べに来るなよ』って、出来の悪いトウモロコシをまとめて畑の端に置いてきた。
トウモロコシ作ってると、私の歯っ欠けのようなトウモロコシが結構出来るのよ。
売り物にならない不良品だな。
それを全部置いてきた。次の朝、畑に行ったら、ひとつ残らずなくなってた。
と同時に、タヌキの被害が何もなかったのな。
それで虎鋏をやめて、収穫するたびに歯っ欠けのトウモロコシを置いてくるようにした。
それからタヌキの被害がほとんどなくなった。
だから、人間がよ、全部を持っていくから被害を受けるんではないのかとな。
そんなこと考えました。元々はタヌキの住処だったところを畑にしたんだからな。
餌なんかやったらタヌキが集まって来て、
もっと悪戯するんではないかと思うところだけど、そうはならなかった。
不思議だなあと思った。
自然の不思議さに目を開かされたと言えばいいか、
とにかく自然は人間の計画通りには動かないもんだと思ったの。
今考えてみれば、あの頃が、効率農業からの転換期だったかもしれないな」
聖書のマタイ伝に「明日のことを思い煩うなかれ」というイエスの言葉がある。
「明日は明日水から思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」
明日のことで悩むのはやめて、今日という日を精一杯生きなさいとイエスは言った。
斑点落葉病や黒星病が葉につくことはあるが、ごく少数の葉や実を冒す程度で終わる。
病気が発生しても畑に広まらないのだ。
農薬を散布していないのに、なぜこういうことが起きるのか。
おそらく最大の理由は、畑に余分な栄養分が存在していないからだろうと木村は言う。
この栽培を続けてきて、木村が発見したことがある。
それは、肥料というものは、それが化学肥料であれ有機肥料であれ、りんごの木に余分な栄養を与え、
害虫を集めるひとつの原因になるということだ。
肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。
けれど、りんごの木からすれば、安易に栄養が得られるために、
地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。
運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだ。
現代の子供たちに、免疫系の疾患が増えていることは周知のことだが、
肥料を与えすぎたリンゴの木にも似たことが起きるのではないか。
その結果、自然の抵抗力を失い、
農薬なしには、害虫や病気に勝つことが出来なくなるのではないかと木村は言う。
※ ラビンドラナート・タゴール『果物採集』より 石川拓治訳
危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。
不安と怖れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
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