柳澤桂子著 〝二重らせんの私” 生命科学者の生まれるまで ☆
内容(「BOOK」データベースより)
少女の頃から、生命への興味抑えがたい私だった。長じて生物学を専攻しアメリカに留学すると、
DNAの二重らせん構造を初めとする諸発見に、分子生物学界はわきにわいていた。
その興奮にじかに触れ、私はすっかり魅せられてしまっていた…
「生命とは何か」と今も問いつづける著者が、
生命科学者となるまでの自己成長をふり返り、学究の溢れかえるほどの喜びを綴る珠玉の長篇エッセイ。
日本エッセイストクラブ賞受賞。
大好きな 益田ミリさん のブックガイドで読んでみました。
世界最高の学府の集うアメリカのコロンビア大学。
そこで、ずば抜けた知能と、あくなき探究心の持ち主である著者が、
魅力的な教授陣、生命の神秘に迫る、科学する喜びに満ち満ちた環境のもと、
まるで水を得た魚のように、幸福感にあふれ、生き生きと過ごすその様は、わたしの見知らぬ、
深遠な知識人の世界を存分に見せてくれる、稀有な一冊。
★★★★☆
感動しました、
以下に本文より、、、
長文です、、、
私は、生物の持つもう一つの側面を見たような気がした。
生物というものは、可能なことは何でもするものだという強い印象を持った。
ダウンスの講演が終わっても、私は席を立つ気になれなかった。
細胞の中にあるタンパク質工場の音が、ごとごとと耳に聞こえるような錯覚に襲われた。
DNAの鍵穴を写し取るメッセンジャーRNAも忙しかった。メッセンジャーRNAの鍵穴に
アミノ酸を運びこむ転移RNAは、おもちゃの兵隊のように次々と整列していった。
「不思議の国のアリス」のような世界から、ふと我に返ると、セミナー室には誰もいなくなっていた。
(大柄でたいへんハンサムな)テイラー教授は都会的ではなく、実直で誠実な人柄であった。
ひとつの問題を考え出すと寝ても醒めてもその問題が頭から離れなくなってしまうタイプである。
そんな時は授業もそっちのけで、教室に入ってくるなり、
黒板に向かって独り言を言いながらその問題を考える。そこにいるのが学生であることも忘れて、
一人前の学者と議論するように、学生たちを自分の思考の渦に巻き込んでゆく。
今日、教授の頭の中を占めているのは、DNA二重らせんがどうしてほどけるかという問題である。
昨夜一晩寝ずに考えたという。今日の講義はとてもできそうにない。
黒板にDNAの図を描いて考え込んでいる。彼を熱中させているのは、
バクテリアのDNA一分子あたりに数個のセリン分子がふくまれていることがわかったというニュースである。
このセリンがDNAをつなぐ“かなめ”の働きをしていて、
それを芯にしてDNAの鎖が回転するためにほどけるのではないかと彼は思いついたのである。
もしそうであれば、DNA二重らせんがほどけて複製される機構の一部が解明されたことになる。
なまりのある英語で教授は自分の新しいモデルを説明して、学生たちの意見を求めた。
一人前の学者のようにあつかわれた学生たちはうれしくなって、それぞれに意見を述べた。
教授は学生たちの言うことに熱心に耳を傾けた。議論は白熱した。ベルが鳴っても立ち上がる人は
居なかった。人類がまだ誰も知らない謎に挑戦しているよろこびに学生たちはのぼせていた。
彼らは世界の最先端にいる興奮を味わった。
それはどんな言葉で科学の喜びを説明するよりもインパクトの大きい体験であった。
バース教授は50代の大男であった。鬼瓦のような大きな顔。オールバックの白髪まじりの長髪。
がっしりした肩にパイプをいつも口にくわえていた。講義中にはパイプはもっていなかった。
やや、うつ向き加減に教壇の端から端までをこつこつと靴の音を立てて歩いた。
どの様にして動物の形ができあがるか。当時の生物学ではまだこの謎に対する答えは得られていなかった。
しかし、今世紀のはじめから多くの研究者がこの問題に取り組んで、
たくさんの実験を行い、研究成果を報告していた。
どの説が正しいのか判断を下せないだけに、この分野は未知の魅力に満ちあふれていた。
夢とロマンがあった。バース教授も夢を追う男であった。
それまでに行われたいろいろな実験について語る時、
教授は生命の神秘を追及する喜びに全身を包まれていた。
その喜びが強いエネルギーとなって学生たちに伝わってくるのであった。
天井桟敷席ではあったが、ほとんど毎週のように通った、カーネギーホール。
少し勉強してみると、この大学のカリキュラムすべてが、
先人たちの思考のあとをたどることに向けて組まれていることに気づいた。
過去をよく知ることによってはじめて未来が見えてくることも分かった。
生命科学の隆盛を点として見るのではなく、歴史の流れの中に置いて見ることの重要性も理解できた。
コールド・スプリング・ハーバーの研究者たちが、
若い学生(私)の研究を熱心に討論してくれたことがうれしかった。
今後の実験の方向をアドバイスしてくれる人もあった。外見で差別されることなく、
一人前の研究者としてあつかわれたことは、わたしに大きな自信をあたえてくれた。
遺伝子についてこれだけのことが分かってくると、遺伝病の診断薬、治療薬の開発の可能性が開けてくる。
それは、患者にとって大きな救いになるとともに、企業にとっては大きな収入を予測させるものである。
農業の分野でも、遺伝子を組み替える方法による品種改良が行われるようになった。
お金になることが分かると、人々の目の色が変わった。遺伝子企業を興すためには、莫大な資本はいらない。
遺伝子という資源は自然の中にある。ちょうどゴールド・ラッシュのように、人々は遺伝子に襲いかかった。
・・・
お金がからんできたために、生命科学の様相は一変してしまった。
あのコロンビア大学の教授たちのもっていた、豊かな水をたたえた大河のような雰囲気は失われた。
研究者は手に手にDNAの入った試験管をもって、何かに追い立てられるように全速力で走りだした。
いったいどこへいこうというのであろうか。
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